2021年の秋、私は東京の中野区にある、28平米の小さな1Kの部屋で暮らしていた。その頃、私の脳は再び統合失調症の症状 — 幻聴や幻覚が現れ始めた。まるで脳内で終わりのない宴会が繰り広げられているかのように、ざわざわと騒がしく、あらゆる神々や魂の意識体、そして異なる周波数の声が次々と語りかけてくるのだ。
数日間にわたる、まるで洗脳のような精神的な苦痛の末、その意識のエネルギーは、脳から首のあたりへと少しずつ広がっていった。やがて、頭は自分の意志とは無関係に左右へと動き出した。まるで糸で操られ、上から操られている操り人形のようだった。その力は全身の関節へと広がり、最終的には筋肉や感覚さえも制御不能となった。まるで魂を失い、誰かに操られているだけの、行き場を失った人形になってしまったようだった。
「また、取り憑かれてしまったのだろうか?」
「神さま……どうか助けてください」
「生きたい……私は生きたいんだ」
こんな体験は、私にとって人生で二度目だった。最初は1年前、2020年の夏に起こった。そのときは初めての発作で、前触れもなく始まり、理由もないまま約1か月間続き、唐突に終わった。残されたのは、ただただ呆然とするばかりの茫然とした感覚だった。
では今回はどうなのか。もう何日も経っているというのに、意識はまだかろうじて思考できる一方で、頭も身体もまったく思うように動かせなかった。ひたすら悲観的に考えるようになっていた。「今回は……あのときのように、運良く終わったりしないかもしれない」「もしかして、一生このままなのではないか?」日常生活を自分で送ることができなくなり、家族や友人から「おかしくなった人」と見なされ、精神病院に入れられ、そのまま一生外に出られなくなるのではないかと、そんな恐怖が、頭から離れなかった。

何度も自分に問いかけたが、その声たちから答えを得ることはできなかった。彼らの声とエネルギーは、ただ私を支配し続け、狭い部屋の中を行ったり来たりと歩かせ、延々と同じところを回らせた。そして彼らは、まるで私に関係があるかのようで、でも荒唐無稽な物語を次々と語りかけてきた。そのせいで精神的にも体力的にもどんどん消耗し、食事を摂ることすら難しくなっていった。最初のうちは、なんとか外に出て一食だけでも食べることができていた。けれどやがて、自宅に閉じこもるようになり、全く食事をとれなくなってしまった。それでも精神だけは異様に冴えていて、絶え間なく自分ではない声を受信し続け、脳はずっと何かを考え、止まることがなかった。身体はどんどん痩せ細り、力が入らなくなっていく中、そのとき、一つの声が聞こえてきた。
「ベッドに横たわれ。」
相変わらず自分を制御できず、まるで何かに指示されるかのように、大の字になってベッドに横たわるしかなかった。
頭の中は変わりなく雑音でいっぱいで、意識は常にかき乱され続けていた。
苦しい。
「いつになったら終わるの……?」
身体はどんどん重くなっていき、心臓だけが異常なほど激しく脈打ち始めた。まるで100メートルを全力で走り終えた直後のような、荒くて収まらない高鳴りだった。そして突然、私の意識・私の世界が、真っ暗な闇に沈んでいった。
心臓は激しく脈打ったままで、止まった。
闇の世界に入ったあと、遠くから巨大でまばゆい青い光の魂が、ものすごい速さでこちらに向かって飛んでくるのを感じた。その青いエネルギーはあまりにも強烈で眩しく、意識の世界にいるはずなのに、私は目を開けてそれを直視することができなかった。(あとから振り返ってみて、ここがいちばん不思議だった。私の肉体の目はすでに閉じていたはずなのに、魂の状態でも、人は「光が眩しくて見られない」という感覚を持つのだと、はっきり分かった。)

祂が目の前に現れたとき、私はその左右に、それぞれ一人ずつ判官のような存在が立っているのを感じた。不思議なことに、直視することもできなかったあの巨大な青い魂の本体に比べ、両側にいた判官たちの姿のほうがはるかにはっきりと人の形をして見えた。彼らは、まるでテレビで観た中国の時代劇に出てくるような姿をしていて、手には棒のようなものを持っていた。その巨大な青い魂の存在を前にして、突然、強烈な「覚知」のようなものを感じ取った。
慣れ親しんできた文化の中では、祂は冥界を司る存在、「閻羅王」と呼ばれている。
閻羅王の前に一枚の審判の机が浮かび上がり、その上には三つの物品が置かれていた。二人の判官は、その机の前の左右に立っていた。そしてその後、閻羅王はさらにもう一つの、やや大きめの光体を召喚した。その瞬間、またしても強い既視感のような「覚知」が私の中に湧き上がった。すぐに分かった、この光体は、子どもの頃から何度も聞いたことがあり、アニメなどでも見たことのある「人生の走馬灯」だった。
私への審判が始まった。
この光体が現れると同時に、全体の光景が一変した。それはまるで、子どもの頃に遊んでいたゲームボーイのゲーム画面のようだった。低解像度で、懐かしいレトロな質感。色調も白黒とグレーだけで構成されていて、どこか切なく懐かしい雰囲気に包まれていた。二人の判官は、手に持った棒のような物を使って動き始めた。その動きは、まるで昔のたまごっちのキャラクターのようで、ぎこちなくて滑らかさはないものの、どこか可愛らしかった。恐怖や威圧感はまったくなかった。
きっと、彼らは私のことをよく分かっていたのだろう。こういう見せ方なら、私の緊張や不安が和らぐと、知っていたのかもしれない。
最初、アニメみたいで、過去の人生の場面が走馬灯のように一つひとつ映し出されるのだと思っていた。映画のフィルムを巻き戻すかのようと、そんなふうに見えると信じていた。しかし、こちらの場合はどこか無機質な「処理作業」のように感じられた。そのことがどうにも理解できなかった。「どうして……何も見えなかったの?」心の中で、何度もそうつぶやいていた。やがて、判官たちの動きが止まった。そのとき、目の前に、大きな「罪」の文字が現れた。それは立体的なネオン管のような質感で形作られており、左上の一部だけがうっすらと黒い光を点滅させ、その他の部分はすべて、くすんだように光を失っていた。

閻羅王は、目の前に浮かぶ巨大な「罪」の文字を指差しながら、イメージとテレパシーを通じて、そう語りかけてきた。「君は罪を犯した」「かつて肉体的、あるいは精神的に誰かを傷つけたことがある」。そのとき私が受け取った感覚は、たとえ人間の世界で言う「重大な罪」を犯していなかったとしても、自らの欲望を満たすために、誰かを傷つけてしまった事実は消えないということだった。たとえその被害者が、私が加害者であることに気づかなかったとしても。たとえそれが、後になってからようやく「傷つけられていた」と知ったことであったとしても。私は、「罪」を背負っていたのだ。
閻羅王は続けて、「君はこれからの人生で、その罪を償うのだ」と語り、再び視線を、審判の卓上にある三つの物品へと戻した。
左から順に並んでいたのは
「生命数3」、「中国風の禅門」、「『善』『好』『美』という漢字が刻まれた金属製の回転盤」

そして、祂はテレパシーで私の心の中に直接語りかけてきた「これからの君の人生は、生命数が3から4へと変わるのだ」と。その瞬間、審判台の上に浮かんでいた生命数がくるくると回転しはじめ、あっという間に黄金で鋳造された、眩い光を放つ『4』へと姿を変えた。

次に、禅風の中国式の門を通り過ぎると、私の視線を、漢字が刻まれた金属製の円盤へと導いた。針は『善』の文字で止まり、それはこれからの私が「善き意志」を軸にした人生を歩むという意味を示していた。まもなく円盤は再び回り出し、『好』という文字へと動いた。その際は深く考えなかったが、『好』は女と子、後になって全体の意味を整理して気づいたんだ。それは私の人生に「子どもたち」が現れるという啓示でもあったのだ。
最終的に針は『美』の文字で止まった。それが私の行き着くべき地点であり、「美」を体現する人生を歩むという啓示だった。ここでいう「美」とは、見た目の美しさや一時的な快楽ではなく、自身の存在や行動を通じて、私の中にある『美』の意識が、人や出来事に触れることで波紋のように広がっていく。その波紋が世界を少しずつ「美しい方向」へと導いていくと、そんな未来を示されていた。
転盤の啓示が終わると、閻羅王は最後にこう告げた「君には、この試練を乗り越える術を見つける力がある。」その言葉を聞いた瞬間、私の意識は急に強く引き戻され始めた。閻羅王、審判の机、そして三つの神聖な物品、あの場面すべてが遠ざかっていき、私は再び自分の肉体へと戻っていく感覚に包まれた。続けてその刹那、止まっていたはずの私の心臓が、再び動き出したのだ。血が一気に流れ込むような衝撃とともに、胸の奥で急激に高鳴る鼓動が戻ってきた。「生きている」とその確かな実感が、再び私の中を満たしていった。
ああ……現世に戻ってきたのか。
しかし、「試練」はまだ終わっていなかった。
この先は、自分自身の力で、この試練を安全に乗り越える方法を見つけなければならない。
この不思議な体験を振り返ったのは、それから何ヶ月も経った後のことだった。ようやく気づいたのだ、あれは、「臨死体験」だったのだと。
「あの瞬間、私は死んでいたんだ。」
後記:
●冥王について
この出来事の後、神の導きを受け入れ、世界各地の神話や奇譚を学び始めた。そうして少しずつ気づいたのだ。私の文化圏で「閻羅王」と呼ばれるこの第十次元の高次存在は、西洋・ギリシャ神話においても、魂の意識の一部を宿しており、冥界を司るオリュンポス十二神の一柱「ハデス(Hades)」としても知られているということに。
おそらく、他の神話体系、他の惑星においても、祂は人々の信仰によってさまざまな神の姿を取って現れているのだろう。しかし、唯一変わらないのは、祂はすべての魂の生と死をつかさどり、死後の審判を下し、来世への道を決める存在であるということだ。
●現代の映像メディアアプリ「YouTube」のおかげで、ある人物の存在を知ることができた。それは、近代西洋の精神科医であるジョージ・リッチ(George Ritchie)博士の物語だった。彼は1943年に約9分間、臨死状態に陥った経験を持ち、その中で自身の臨死体験をしたという。その体験の中で、彼もまた非常に強力な光の存在に出会い、テレパシーを通して、地球上に存在する様々な次元の中の「地獄の世界」を理解する導きを受けた。またその後、神も私にこう告げた。あの光こそが、まさに「冥王」なのだと。
関連書籍リスト:https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-02-9780712602730
●閻羅王の審判の机に置かれていた「中国式の禅風な扉」
それは、私が魂の修練をある程度まで積んだ後、再びあの時空の場面に戻ったときに、祂が開くことを許してくれたものでした。そして、私の魂の意識がその門を越えた瞬間、過去・現在・未来、さらには並行する時空までも自由に行き来できる意識の扉が開かれたのです。
●誰の臨死体験も、偶然に起こるものではありません。すべては、創造主である大神聖なるスピリット(造物主)によって綿密に計画された出来事なのです。人々それぞれの臨死体験には、神の意志が込められており、当事者がそこから持ち帰る気づきや智慧は、もし本人がそれを語る意思を持つなら、きっとこの世界を豊かにし、光をもたらす力になるのです。
関連書籍リスト:https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784863919907